意識の目覚め、悟りのためにするべきたった一つのこと

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青空

意識の目覚め、悟り、覚醒。

人類永遠のテーマと言ってもよいかもしれません。

目覚めを求めて人はさまざまなことをしますが、すべきことは、スピリチュアル能力を開発することでも、ひたすらポジティブになることでも、何日も断食することでもありません。

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意識の目覚め、悟りのためにするべきことはたった一つ。

それは、「今に在る」こと。

これまでにもこのブログでたびたび書いていますが、これに尽きます。

長年のきびしい修行をしなくても、オーラが見えなくても、チャネリングができなくても、ベジタリアンじゃなくても、禁欲生活をしなくても、一日二時間瞑想しなくても、「今に在る」ことさえできれば、意識は覚醒をはじめるようです。

「いまここ」とか「今に在る」という言葉は、スピリチュアルや精神世界に興味があれば、何かで聞いたり、本で読んだりして、人によっては何度も目にしていて、とてもありふれた言葉になっているかもしれません。

覚醒、悟りのためには「今に在る」こと。

もしこれを知っていても、ただ知っているだけでは何もなりません。

大事なのは、体験です。

「今に在る」体験を増やしていくことが、何よりも重要なのです。

しかし、たとえそれがわかっていても、依然として多くの人の興味、関心は明日の仕事のこと、お金のやり繰りのこと、人間関係のことなど日々の生活のことや、自分の人生に向けられます。

「今に在る」体験を増やしていくためには、興味、関心がそういったすべてのことよりも、「今に在る」ことに注がれる必要があります。

少なくとも、私はそうです。

なぜなら、「今に在る」ことが常に最大の関心事でなければ、仕事をしている時、電車や車に乗っている時、食事をしている時、どんなときでも「今に在る」ことはできません。

「今に在る」ことは、文字どおり「今」なのです。

もし、他のすべてのことよりも「今に在る」ことに関心があれば、あなたは今すぐにでも「今に在る」ことを実践しはじめるはずです。

「今に在る」とは?

では、「今に在る」とはどんな状態なのでしょうか。

これも何度も書いていますが、「今起こっていることに気づいている」状態です。

言葉にするととても簡単ですが、実際に今に気づいているという体験を増やして、その感覚をつかんでいくことがなによりも大切です。

私が「今に在る」という感覚をはじめて実感したのは、瞑想中でした。

思考から解放され、空っぽの意識の中でしばらく瞑想をしていると、ある時、世界はとてもシンプルだということに気が付いたのです。

その時、私の感じていた世界は、まぶたの裏に感じる明るさ、呼吸、全身の感覚、そして窓の外から聞こえてくる虫の音。

世界は、ただそれだけだったのです。

「私」という自己像も存在せず、そのシンプルな世界に気づいている意識。

ただ起こっていることに気づいている意識。

それが、私でした。

これが、「今に在る」状態です。

ここでは、瞑想中の話を例にとりましたが、瞑想中だけこのような意識でも意味がありません。

瞑想はあくまで、思考から解放され今に気づき続ける力を養う場です。

大事なのは、それを日常生活で実践することです。

今起こっていることに気づいていると言っても、「誰それが何々をやっている」とか、「これは何々の音だ」といった起こっていることの状況説明や、判断は不要です。

それは気づいているのとは違い、思考しています。

ただ、起こっている、あるがままに気づいているのです。

とはいえ、最初からすべての出来事に判断も批判もしないでいられるわけではないと思うので、出来事をきっかけにわき起こるさまざまな感情にも気づいています。

感情に没頭し、我を忘れることなく気づいているのです。

これは言葉で説明しても、最初はわかりづらいかもしれません。

体験こそが理解の早道です。

するべきことはただ一つ

私はある日の覚醒体験以来、この「今に在る」を日常生活の中で実践しはじめ、最近(2013年9月現在)では、朝目覚めた瞬間から夜寝入るまで、静寂の中でストイックに今に気づき続ける努力をしています。

世界は、どんどんシンプルになってきています。

平和だとかワンネスだとか愛だとか、口にするのは簡単です。

しかし、そのためには気づかなければならないことがあります。

いずれ世界が自然と変わるのではない。

誰かがこの世界を変えるのではない。

私たちがみんなで力を合わせてこの世界を変えるのではない。

革命によって世界が一つになるのでも、平和になるのでもない。

世界を判断し、批判しているかぎり、その人の心から怒りも憎しみも消えることはありません。

世界を変えようとしているかぎり、世界に平和は訪れません。

良いも悪いも相対的なもの。個人の観念です。

この世界は、観念と観念のぶつかり合いです。

変わるのは、「私」です。

世界のどこを探し歩いても、何でどれだけ成功しようとも、すべての悩み、苦しみから解放される方法は見つかりません。

思考と想念でつくり上げている「自分」という幻想と、あらゆるものに対する判断、価値基準、善悪などの観念、自らを縛っているすべての制限からの解放。

これが覚醒であり、悟りであり、すべての悩み、苦しみから解放される唯一の方法だと私は認識しています。

そのためにもし何かできることがあるとするなら、何の判断も、意味づけもされていない「今、この瞬間」に在り続けること。

ただそれだけです。

そこから先は、私にもまだわかりません。

さて、覚醒、悟りに興味がある人にぜひともおすすめしたい本です。

「私」とは何か、「在る」について徹底的に、詳細に書かれています。

覚醒のステップをここまでわかりやすく書かれた本を、私はほかに知りません。

私が今回の記事で書いたことは、もっと詳しくこの本に書いてあります。

本を読めばさらに理解が深まるはずです。

しかし、何よりも大事なのは、あなたが実践し、体験していくこと。

これを忘れないでください。

コメント

  1. Akemi より:

    Homareさま
    わたしも同じような気持ちでいます。
    「たとえどんな状況であれ、すべては在るがままで完璧な姿だから、
    なにもする必要はない」…と。
    そして最近…不思議な気分になるときがあります。
    「いま」さえも、「あの感覚」さえも…消えて無くなったような。
    ふと、また Homareさんの文章を読みたくなってココへ来ました(^^;
    返信はお気になさらずに…☆

  2. k より:

    はじめまして。林業に興味があり、ネットサーフィン中にヒットしました。
    ただ、在る。感覚は私も覚醒の際に経験したものです。
    旧約聖書の神は自分をこのように話します。
    『私に名前はない。私は在って在るもの、である。』
    クリエーターを無視した未来はありません。
    在る、その先もまた確かな覚醒が必要です。

  3. 土井稔 より:

    全ては、人をかもる方便で有る。
    瞑想や「今、ここ」も新しい価値観のビジネスで有る。

    • ほまれ より:

      「いまここ」は確かにビジネスにもなっていますね。

      しかし、何物にも同一化していない「今この瞬間」の世界を実際に一度でも体験したならば、単なるビジネスのネタとして一蹴することは私にはとてもできません。