世界がひとつになるもっとも確実な方法

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戦争もなく、国境もなく、人種差別もなく、すべての人が地球に感謝し、他人を思いやり、他人を傷つけることもなく、みんな笑顔で、毎日幸せ。

そんな世界を夢見て、ある人は近い将来革命が起きることを期待し、政治活動や啓蒙活動をして、理想の世界をみんなでつくり上げることに使命感を燃やしているかもしれません。

しかし、それではいつまでたっても世界はひとつにはなりません。

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世界は観念と観念のぶつかり合い

ルビンの壺を例にとって説明してみましょう。

トップの画像を見てください。

ルビンの壺とは、見方によって壺にも見えるし、二人の向き合った顔にも見えるあの有名な図形です。

 

ある人たちは、これは壺だと主張します。

ある人たちは、これは顔だと主張します。

壺だと主張している人たちは、これが壺だということを確信し、同じ意見の人を仲間にし、この問題に無関心の人や、これが顔だと言う人に必死に働きかけ、自分たちの意見がどれだけ正しいかを主張します。

そのうち壺だと言う人の数が増えていき、やがて世界はひとつになると信じています。

一方で、顔だと主張している人たちも同様のことをやります。

さて、あなたは壺派ですか?それとも顔派ですか?

 

人類の歴史は現在に至るまでこれの繰り返しです。

これが国や宗教という単位になれば、やがては戦争に発展する可能性もありますし、個人対個人、知人、友人、恋人、家族などであれば言い争いがはじまり、大ゲンカが勃発するかもしれません。

戦争もケンカも、規模が大きいか小さいかというだけの違いで、結局やっていることは同じです。

 

自分の意見が正しいと主張し、他人を認めない。

 

自分が正しいことを主張し、どう考えても間違っているように見える他人を認めず、他人を変えようとするならば、そこには必ず対立が生じ、争いが起こります。

たとえそれが正義だと信じてやっていることだとしても、どんなにみんなのためだと思ってやっていることだとしても同じです。

 

ルビンの壺の図形を見て、「絶対壺だ」とも「絶対顔だ」とも言いきれないように、どんな場合であっても善も悪もすべて個人の解釈に依存した相対的なものです。

ある人にとっては最善で、正しいことでも、他の人にとってはまた違った解釈があるわけです。

どちらが正しいとか間違っているとかは判断できない、相対的な個人の観念と観念が互いにぶつかりあっている、というのがこの世界の構図です。

 

皮肉なことに、私たちが目の前の現実を判断し、批判し、この世界をなんとかして変えようとしているかぎり、世界は決して平和にも、ひとつにもならないのです。

 

私は思考が活発だった学生時代、「人が二人いればそこにユートピアは生まれない」と思っていましたが、それはまさにこういう理由からです。

ここまでの説明では、世界がひとつになることなんてまずあり得ません。

 

しかし、世界がひとつになる方法が実はひとつだけあるのです。

 

ひとりひとりの意識が目覚めることで、そこに可能性が見えてきます。

 

ひとりひとりの意識が目覚める、と言っても、もっと政治に興味を持つとか、反体制になるとか、自然環境に関心を持つとか、スピリチュアルに興味を持つとか、フリーメーソンやイルミナティ、ロスチャイルドやロックフェラーが世界をコントロールしているという話に興味を持つとか、原発問題にもっと関心を持つとか、自然素材のものを身につけるとか、ロハスや田舎暮らしに興味を持つとか、ベジタリアンになるとか、そういったことではありません。

 

ひとりひとりの意識が目覚める、ということについてもう少し具体的に書いてみます。

 

観念と観念がせめぎ合いぶつかり合うのは、私たちが「自分」の意見や主張、「自分」の考えていることが他人のものより価値があると思っているからです。

これをもう少し掘り下げていくと、私たちは「自分」というものを大事にし、「自分」というものに執着しているということがわかってきます。

 

この「自分」という意識。

これこそが世界がひとつになるカギです。

 

さて、ようやくここからが本題です。

 

 

「自分」とは何か

「自分」とは何か、なんて話をすると、とても哲学的な問いに感じる人もいるかもしれません。

しかし、私は思索をめぐらし、ここで哲学をするつもりはまったくないので、面倒くさがらずもう少し読みすすめてみてくださいね。

 

さて、私たちがこれほどまでに大事にし、執着している「自分」とは、いったいなんなのでしょうか。

 

今、「自分」ってなんだろう?と頭の中で考えをめぐらそうとした人もいると思います。

私たちの多くは、まさにその頭の中で考えている思考そのものを「自分」だと認識しています。

 

私たちは朝起きてから夜寝るまで、いろいろなことを考えて一日をすごします。

思考はひっきりなしに出てくるので、まるでそれが「自分」であるかのように感じてしまいます。

 

しかし、実はそれは錯覚であり、真実ではありません。

 

思考は、実は何の脈絡もなく頭の中に現れては消えていく、非常にあいまいでとらえどころのない現象です。

私たちは意識的に思考しているように見えるかもしれませんが、実際は私たちのコントロールできるものではありません。

その証拠に、簡単な実験をしてみます。

 

今から何もせず、5分間考えることをやめてみてください。

 

いかがでしょうか?

思考が私たちのコントロール下にあるならば、考えることをやめることは容易いはずです。

 

また、もし思考が「自分」であるならば、まったく何も考えてないとき私たちはどこに行ってしまうのでしょうか。

これは何も考えてないという経験を意識的にしたことがない人にはわかりずらい話しかもしれませんので、私の体験を例にあげてみます。

 

私がはじめて「何も考えていない」状態を意識的に体験したのは、瞑想中でした。

そのときの状態を、過去に書いた記事から引用します。

 

思考やイメージが止まっている意識は、何もなく空っぽです。

その何もなくどこまでも広がるとても静かな空っぽの意識の中に、
ただ五感によって立ち現われてくる感受のみがあるのです。

ただ虫の鳴き声があり、ただ鳥のさえずりがあり、ただ呼吸があり、ただ体の感覚がある。

目を開ければただ目の前に色と形、光と影がある。それらはただ起こっているのです。

自分だと思っていたものは幻想で実は何もなく、
自分とは感受そのものなんだということが実感できた瞬間がありました。

鎌倉一法庵での気づき-本当の瞑想とは | 地球生活

 

私たちが「自分」だと思っているものは、名前も含めて過去の記憶の蓄積に集約されます。

過去の記憶、言ってみればそれもすべて思考で、頭の中にあるときにはあって、ないときにはない、勝手に現れては消えていくもので実態がありません。

何も考えず頭の中が空っぽの状態のとき、過去の記憶さえも頭にない瞬間、私たちは何を「自分」だと認識するのでしょうか。

 

これは自分で体験してみてはじめて実感できることですが、私たちは頭の中が空っぽの状態でも、気を失うわけでもなく、どこにも行かず、つねに「今、ここ」にいることに気がつきます。

思考が何もないとき、そこに残るのはただ「今」に気づいている「意識」です。

 

これまでにもこのブログで何度か書いていますが、私たちの実態は思考ではなく「意識」なのです。

私たちが「自分」だと思っているものは、非常にとらえどころがなく、あいまいで、実態がありません。

つまり、「自分」とは、思考がつくり上げたただの幻想なのです。

 

 

ひとつになった世界

ここで、私が以前経験した覚醒体験について書いた記事から引用します。

 

感受や感情や思考は、空に現れては消える雲と同様、
それはコントロールできるものではなく自然に発生、消滅を繰り返す
無常の性質をもってただそこに起こっているだけの一つの現象に過ぎず、
それらを自己と同一化する必要はまったくない。

私は本を読みながら、思いがけず知恵の輪をはずせた時のような
かなりの衝撃とともにこの気づきを得ました。

 

そして、次の瞬間、ある意識の変化を体験したのです。

 

それは、自己からの解放です。

 

それまで自己と思っていたものは幻想で、単なる無常の連続にすぎないということは、
春に芽吹き、冬に枯れ落ちる木の葉のように、自然界に刻一刻と生成、消滅しているあらゆる現象、
そして、自分以外のすべての人間と何一つ差も隔たりもなく、
すべてが等価値ということに気がついた時、自己の枠は完全になくなり、
突然、目の前の現実との一体化が起こりました。

自己と思っていたものも含め、目の前に起こっているすべての現象と
意識が一体となっている感覚です。

2012年12月21日の翌日に起きた私の意識変革 | 地球生活

 

私たちが何よりも大事にし、執着している「自分」。

この「自分」という幻想の中を生きることで、私たちが経験する世界には実際には存在していない内と外の境界ができ、分離意識が生まれ、対立が生じるのです。

 

要するに、本来は実態のない「自分」という幻想を大事にし、執着しているかぎり、世界がひとつになることは決してありません。

 

「自分」が幻想だということに気づき、そこから解放されたとき、はじめて私たちはひとつになった世界を経験することができるのです。

ひとつになった世界とはつまり、目の前に起こっているすべての現象と意識が一体となっている感覚、です。

 

最後に私が何よりも強調しておきたいのは、この文章を読んでひとつになった世界を知り、ただ頭で理解しただけでは意味がない、ということです。

すべては体験です。

体験するためには、頭で考えるのではなく、実践が必要です。

 

「自分」が幻想であることにあなたが気づき、あなたが意識と一体となることで、はじめてあなたがいる世界がひとつになるのです。

 

もしあなたが世界がひとつになることを望み、そのために行動をおこすなら、今まで外側の世界をなんとかして変えようとしていた意識を、内側に向けることが先決です。

 

それこそが、世界がひとつになるもっとも確実な方法、だと私は思っています。

 

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