昨年の話になりますが、我が家では二人目の子どもが生まれました。
実は生まれた日に、赤ちゃんはダウン症の可能性があることを医師から告げられました。
令和元年10月のこと。
出産は予定日より3週間以上早い早産で、未熟児だったため赤ちゃんは生まれてすぐにNICU(新生児特定集中治療室)の保育器に入ることになりました。
出産当日の明け方、赤ちゃんが生まれたと妻から連絡があり、昼頃に娘を連れて病院に行きました。
病院に着くと、「お父さんとお母さんは先生からお話がありますので、ちょっと来てください」と言われ、NICUに入ることができない娘を看護師さんに預け、生まれたばかりの赤ちゃんのもとへ向かいました。
NICUでは、その日の当直だったという小児科の先生が、赤ちゃんがいる保育器の前で出迎えてくれました。
はじめて対面した赤ちゃんは、保育器の中でいろいろな管や線につながれ、大丈夫なんだろうか?とちょっと不安になりましたが、同時にようやく無事にこの日を迎えることができたという安堵感もありました。
先生からは現在の赤ちゃんの状態の説明があり、順調に行けば数日後には保育器から出られるだろうということでした。
呼吸器や管につながれて緊迫した様子に見えていたけど、数日後には保育器から出られるという先生の言葉にほっとひと安心。
ところが、ひと通りの説明が終わったあと、「ただ、ちょっと気になることがありまして・・・」と先生が言いました。
先生の話では、通常二本ある手相の横の線が、息子は横一文字になっているのだそうです。
「豊臣秀吉も同じ手相だったといわれているので、これはまあいいのですが、、あと小指が普通の人より短かったり、耳の位置がちょっと低いなどいくつか気になる点があるんです」
あらためて目の前の赤ちゃんを見ても、パッと見ではほとんどよくわかりませんでした。
小指が短いのはちょっと不便かもしれないからかわいそうだけど、ほかは生きていくうえで特に支障はなさそうだから、そんなに気にしなくてもいいか、と思っていると、先生はやさしい口調で続けました。
「こうした身体的特徴は、ダウン症の子に多く見られるんですよ。まだ決まったわけではないですが、ちょっと気になったので検査に出しておきました」
そうなんですか、と言いながら、私の心は一瞬にして曇っていきました。
妻の顔を見ると、もしもし?いまの話聞いてた?と思うほど何にも気にしていない様子。
先生の話が終わり、NICUを出て娘を連れて妻の病室に戻りました。
数日ぶりに再会した妻と娘が楽しそうにじゃれあう横で、私はひとりスマホ片手に黙々と検索開始。
もちろん、キーワードは「ダウン症」です。
ダウン症と聞いて真っ先に思い浮かぶことは、ひと目見てわかる特徴的なあの顔。
あらためて考えてみると、ほかに知っていることはほとんどありませんでした。
ちょっと調べてみてわかったことは、
- ダウン症は21番目の染色体が正常では2本のところ3本存在することで発症する
- 発症確率は高齢出産になるほど高くなる(20代:1000人に1人 40代:100人に1人)
- 発達障害や知的障害がある
- さまざまな合併症がある(ダウン症の50%に先天性心疾患がある)
- 平均寿命が以前は短かったが、近年は60歳くらい
などなど。
さらに、ダウン症の子を持つ親御さんのブログが意外にもたくさんありました。
こんなにいろんな人がダウン症の子どもを育ててるんだということにまず驚き、そして子どもの成長の様子がよくわかりました。
そして、子どもがダウン症でないかぎり一生関わらない人々や知らない世界があったのだということに、はっと気がつきました。
そうしたいろいろな出会いや新しく見えてくる世界があることを思うと、ダウン症の子を育てるのもそれはそれでおもしろいかもしれない、と思えてきました。
私の心の中には、ある疑問がわき起こりました。
「我が子が、どうしてダウン症だとダメなの?」
意外なことに、ダメな理由が見つかりませんでした。
でも、それならどうして我が子にダウン症の可能性があると告げられ、私の心は曇ったのか。
それはおそらく、まったくの想定外だったからだと思います。
二人目の子どもが生まれるということで、子育てのことやこれからはの家族のことなどあれこれ漠然とイメージしていたことが、一瞬にして打ち砕かれたような感覚だったのかもしれません。
しかし、それは単なる私の勝手な妄想にすぎません。
幸いなことに、私はそのイメージをリセットし、すぐに白紙に戻すことができました。
そして、ダウン症児の子育てにぐいぐい興味を持ちはじめていました。
スマホから顔を上げると、私の心の中に広がっていた雲は、いつの間にか流れ去っていました。
2週間後、検査結果が出たということで病院へ。
結果は、やっぱりダウン症でした。
検査結果を待つまでもなく、ダウン症は確定したものと考えていたので先生の説明を注意深く、冷静に聞きました。
ダウン症児はさまざまな合併症が心配されます。
息子の場合、ダウン症児にはつきものと言っていいほどの心臓の疾患は、産後の検査では異常なしと診断されたものの、1ヶ月検診では心臓に穴が開いているということがわかりました。
自然にふさがる可能性もまだあるらしいのですが、今後の経過次第では手術の必要もあるそうです。
また、肺高血圧症という病気もあるらしく、今後も定期的に病院でのケアが必要になるようです。
べつに隠していたわけでもないのですが、今回、息子がダウン症であることをどうしてわざわざブログで公表したのか。
その理由は2つあります。
ひとつは、ダウン症の子を持つお父さんお母さん、兄弟姉妹の方たちとつながりを持ちたいから。
楽しかったことや大変だったこと、辛かったこと、子育てのアドバイスなど、何でもいいのでコメントいただけたら嬉しいです。
もうひとつは、私たち家族と直接関係がある方たちを困惑させないため。
妻から聞いた話では、産後に息子のことを気遣ってか、心痛をいたわるような言葉をかけてくる看護師さんもいたようです。
しかし、まったく気にしていない妻はちょっと戸惑ったようです。
私も最初は少なからずショックを受けましたから、看護師さんがそう対応する気持ちはよくわかります。
相手がどんな心境かなんてわかりませんから、どんなふうに声をかけていいのか難しいところだと思います。
落ち込んでいるところに、「おめでとうございます!」とにこやかに言うのもちょっとKY(空気よめてない)でしょう。
でも、親がぜんぜん気にしていないということが最初からわかっていれば、看護師さんも素直に「おめでとうございます!」と言えたはずです。
この先私たち家族や息子と対面したときに、息子がダウン症だと気づいてどんな言葉をかけたらいいのか困惑する方も出てくるかもしれません。
私も妻も息子がダウン症であることをまったく気にしていないので、どうかお気遣いなく。
いたって普通に接していただけたら幸いです。
ところで、通常、染色体異常の胎児は高確率で流産すると聞いたことがあります。
ダウン症も、21番染色体が通常より1本多くなることで発症するので、染色体異常です。
どうしてダウン症の子は生まれてこられるのか、ちょっと気になっていました。
調べてみてわかったのですが、どうやら21番染色体は他のに比べて小さく、遺伝情報が少ないので染色体異常の影響も少なくすむからなんだそうです。
しかし、それでもダウン症の胎児も70~80%は生まれてくるまでには至らないそうです。
無事生まれてきた赤ちゃんは、とても生命力が強かったのかもしれません。
そしてさらに、1000人生まれたら1人の確率でしかダウン症の子は生まれてこないわけです。
まず受精することが奇跡だと言われることがありますが、その中からダウン症の子が生まれるのはいったいどれだけ低い確率なのか。。
息子よ!どんだけの難関を突破してきたんだ!よくやったぞ!
と言ってやりたいです(笑)
そして、その親という貴重な役割を、じっくりと腰を据えて経験していきたいです。
私の人生は平坦で無難な道よりも、普通ではない刺激的な道にレールが敷かれる傾向にあります。
その方がいろいろと学びも多く、結果的におもしろい経験ができるのでそれはそれでいいのですが、今回も、普通の道だと思っていたらいきなり後ろから飛び蹴りを食らったような、まったく予想していなかった展開がやってきました。
妻が5か月目で切迫流産になった妊娠生活。
これも息子が私たちに与えてくれた、ある意味刺激的で濃密な経験でした。
これから大変なこともたくさんあるだろうけど、息子がどんなふうに成長していくのか、そして私と妻と娘にどんな刺激的な経験をさせてくれるのか、わくわくドキドキです。