ヨガと言うと、アーサナと呼ばれるさまざまなポーズを連想する人が多いと思います。
今回ご紹介するカルマヨガは、ヨガはヨガでもポーズなどは一切行わず、日常の行為の中で誰でも実践できて、しかも気持ちがいきいきとしてくるヨガです。
カルマヨガとは
結果にとらわれることなく、利益や見返りを期待しない奉仕の精神で善行に励む「行動のヨガ」。
一般的にカルマヨガはこんな風に説明されることが多いです。
ただ、これだと「奉仕の精神で何か良い行いをすること」だと勘違いして、わざわざそれを意識して、奉仕活動に参加したり何か良い行いを探して行動してしまう人もいるかもしれません。
本来、カルマヨガとはもっとシンプルで、簡単に言うと「目の前にあること、日々の行動一つ一つにただ最善を尽くす」ことです。
今回はカルマヨガについて、もう一歩踏み込んだ説明を私なりにしてみます。
カルマヨガ=「今、ここ」に在ること
私はこのブログで悟りや意識の覚醒のために、「今、ここ」に在ることの重要性をしつこくお話ししていますが、カルマヨガとはまさに「今、ここ」に在ることと同義と言ってもよいかと思います。
私たちはいつだって「今」を生きている、そんなのあたりまえのことだ、と思う人もいるかもしれません。
しかし、私たちは何をしているときでも、つねに頭の中で何かを考えていることがほとんどです。
たとえば食事をしているとき、何が「今」でしょうか?
箸や食器を持つ手の感触、食べ物の香り、味、温度、歯ごたえ、舌触り、色あいなど実際には本当にたくさんのことが「今この瞬間」に起きていて、それを感じているはずです。
ただ、そのとき頭の中であれこれ考えているとそちらに意識を取られ、実際に「今この瞬間」に起きていることに気づいていることが難しくなります。
これでは「今」を生きているとは言えません。
さて、私たちは一日のほとんどの時間を、何かしらの行為をしてすごしています。
顔を洗ったり、歯をみがいたり、食事したり、歩いたり、走ったり、立ったり、座ったり。
仕事に行けば、それこそさまざまな行為をしているのではないでしょうか。
つまり、私たちにとって「今」とは、行為そのものとも言えます。
しかし先ほども書いたように、たいていの場合、私たちは頭の中の思考に没頭しているため、行為そのものに意識のすべてが向けられることはほとんどありません。
行為と思考に意識が向けられる割合は時と場合によって変化しますが、思考の割合が高ければ、それだけそのとき行っている行為は無意識的になっていきます。
反対に、針に糸を通すとか、もの音を立てずに歩くとか、危険な作業や絶対失敗が許されない作業などのように、その行為によっぽど集中力を必要とするとき、思考は格段に減り、行為は意識的になります。
つまり、私たちの本質である意識が100%注がれているとき、それがどんな行為であっても、そこには必然的に質が伴うということです。
さらに私の経験では、一切の思考がなく、その瞬間行っている行為に意識が100%注がれているとき、自覚のある意識の空間の中では時間の感覚がなくなり、安らぎと悦びが胸の内からあふれ、行為それ自体が「今この瞬間」に対しての愛おしさに包まれている感じがします。
胸の内から安らぎと悦びが湧いてくるのは、「今、ここ」に在ることのわかりやすいサインでもあります。
カルマヨガとはまさにこの状態、つまり、思考や記憶の影響を一切受けていない「今、ここ」に意識が在る状態で、安らぎと悦びを感じ、「今この瞬間」に対しての愛おしさとともに行う行為、と言えると思います。
そもそも「ヨガ」とは、「宇宙との一体化」が本来の意味。
私たちが宇宙と一体となるのは、思考から解放された「今、ここ」を生きることで可能となります。
カルマヨガの実践に最適の場
私たちは日常生活の中で、ほとんどの時間を何かしらの行為をしていながらも、その行為に意識を集中することはあまりありません。
特に仕事中、単純作業や毎日の繰り返しで頭を使わなくてもできることなどをやっているときなどは、早く時間が過ぎないかな~、なんて思いながら考え事や妄想、空想にふけって機械的にこなしている人もいると思います。
しかしそんなときこそ、私はカルマヨガの実践をおすすめしたいのです。
頭を使わずに、機械的にこなせる行為だからこそ気持ちに余裕があり、カルマヨガを意識してできる絶好のチャンスです。
私の場合、この冬は炭焼きの原木をつくるために木を伐採し、チェーンソーで倒した木の枝を切り落としたり、幹を一定の長さに切っていく作業がメインでした。
木を決まった長さに切っていく作業は、ものさしを当ててチョークで印をつけ、チェーンソーで切っていくということをひたすら繰り返しやっていくのですが、こうした作業も慣れてしまえばいくらでも心ここにあらずで機械的にこなすことができてしまいます。
しかし、「今、ここ」に気づき、その行為とともに在るとき、こうした繰り返しの単純作業でも毎瞬毎瞬が新鮮な気持ちで取り組むことができます。
つねにそういう状態というわけではないですが、思考や記憶の影響を一切受けていないまっさらの意識で「今、ここ」に在り、100%の意識でその瞬間の行為とともに在るとき、チェーンソーの爆音が響きわたるなかで私は静寂を感じ、安らぎ、悦びとともに木を切っています。
そんな時は、自分のやていることが、森のためになるとか里山整備につながるとかそういう考えさえも一切なく、ただその瞬間行っている行為そのものが理屈抜きでとても愛おしく感じます。
カルマヨガは、何をやっているかというのは問題ではなく、大切なのはその瞬間の意識の状態です。
ぜひ、日常生活や仕事中の「機械的」な行為の時間を利用して、カルマヨガを意識して実践してみてはいかがでしょうか。
心は安らぎ、いきいきとして、おまけにその行為の質が高くなるなら言うことなしです!
関連記事:
カルマ・ヨガ ~日常に隠された魂進化の最短ルート~ | 地球生活
何でもない日常を丁寧に大切に生きることが、実は何よりも重要だという話
関連書籍