毎日会社に行って朝から晩まで仕事をする。
安定した収入がなければ生きていけない。
これは日本社会にいまだ根強く浸透している人生観です。
一般的な日本社会では週5日、6日朝から晩まで働き、安定した収入を得て生活することがあたりまえすぎて、これが疑いようのない常識に見えてしまいがちですが、実のところこれはたくさんあるうちのひとつの生き方にすぎません。
毎日仕事をして安定した収入の中で生活する、というたった一つの生き方しか知らなければ、そのレールから少しでも外れてしまうことは大きな恐怖です。
極端な話ですが、たとえば仕事、お金、家すべてがなくなったらどうなってしまうでしょうか。
どうしてよいかわからず、人生に絶望してしまう人もいるかもしれません。
しかし、絶望するにはまだ早いです。
たとえそのすべてがなくなったとしても生きていける方法を知っていれば、絶望することもなく、レールから外れることを恐れることもなく、いつでも再スタートを切ることができるはずです。
そんなわけで今回は、私がいままでの人生で経験してきた、身一つでも生きられる方法をご紹介します。
住み込みバイト
私はこれまでいろいろな住み込みの仕事をしてきました。
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ブログにレポートしたもの以外にも、富士山の標高3000mの雲の上にある山小屋バイトや、海外でも住み込みの仕事をしたことがあります。
住み込みバイトはその名の通り住み込みなので住むところには困らないし、基本的には食事も付くので生活費はほとんどかかりません。
生活費がかからないので、給料にはほとんど手を付けづに残すこともできます。
もし仕事、お金、家すべてを失ってしまっても、数ヶ月間働けばちょとしたまとまったお金をつくることができるので、そのお金を元手に次のステップの選択肢は広がるはずです。
ところで、こんな仕事どこで見つけてくるのか、と聞かれることがたまにあります。
私の場合は求人サイトフロムエーのリゾート版で見つけたり、友だちに紹介してもらったりなどです。
私は自然の中で働きたいという希望があったので第一次産業(農家や漁家)の仕事ばかりやっていました。
私は利用したことはありませんが、農業系の求人を探すならこんなサイトもあります。
肉体労働はちょっと、、という人はホテルや旅館、スキー場などのいわゆるリゾートバイトがあります。
先ほどのフロムエーのリゾート版でも探せますし、リゾートバイト専門の求人サイトもあります。
宿泊施設にもいろいろありますが、ホテルや旅館ではなく外国人の旅人がよく利用するようなゲストハウス専門の求人サイトもあります。
●やどびと
ゲストハウスやホステルの求人では、通いの仕事もありますが、住み込みの仕事もたくさんあります。
仕事の中には、お金はもらえないけど一日2、3時間の短時間の労働で宿泊代がタダになるフリーアコモデーションというシステムもあります。
私も以前オーストラリアを旅していたときに、長期滞在したい土地では宿泊先でフリアコをやって宿泊代を浮かせて旅費を節約していました。
フリアコができれば生活に必要なお金は食費だけですし、食事も自炊すれば安くすませることができます。
一日2、3時間の仕事が終わってしまえばそれ以外は自由なので、自分のやりたいこともできるし観光なども十分できます。
住み込みバイトは、バイト先に電話一本すればいつでも仕事、お金、住むところに困らない環境をつくることができます。
これはどんな境遇におちいっても生きていける自信と安心感を生み、人生を冒険する助けになります。
WWOOF(ウーフ)
WWOOFとは、畑仕事や家事手伝いなどの作業をするかわりに食事と寝床を提供してもらう仕組みで、世界各国に運営団体があります。
お金はもらえませんが、食事と寝床があるので生きていくには困りません。
日本にもWWOOF JAPANがあります。
農作業が中心ですが、畑でとれた野菜を使ったカフェやレストランの仕事や、ログハウスや小屋を建築したり、牛や馬、ヤギや鶏などの世話など、ホスト先によっていろいろな特色があります。
興味があることや経験したいこと、学びたいことが決まっていれば、そうした仕事があるホスト先をホームページで探して行くことができます。
WWOOFを利用するには会員登録が必要で一年ごとに登録費用がかかります。
私の場合は自給自足的な生活に興味があったので、会員登録してそういう経験ができるところをホームページで探したことがありますが、最終的にはWWOOFを介さずに、人の紹介などでめぐりあった自給自足のお家で一緒に生活させてもらいました。
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大鹿ふりだし塾もニセコ自給自足研究所もWWOOFホストをやっているので、WWOOFを利用して来る人もいます。
WWOOFホストは日本各地に400軒もあるので、旅先の宿代わりにWWOOFを利用する人やWWOOFホストを転々とするWWOOFの旅をしている人もたくさんいます。
農業や田舎暮らし、自給自足に興味がある人にはおすすめです。
ヴィパッサナー瞑想センター
これは瞑想に興味がある人にかぎられますが、ヴィパッサナー瞑想センターで瞑想三昧の日々をおくるという方法もあります。
瞑想と聞くと、あやしい宗教と思ってしまう人が日本にはまだまだ多いかもしれません。
そういう人のためにも誤解のないように、ヴィパッサナー瞑想について簡単に説明しておきましょう。
ヴィパッサナー瞑想は、ブッダが悟りに至った瞑想法といわれています。
ヴィパッサナー瞑想センターは世界各国にあって、日本では非営利団体の日本ヴィパッサナー協会が運営するセンターが京都と千葉にあります。
瞑想センターでは10日間の瞑想合宿コースが頻繁に開催されていて、予約をすれば誰でも参加することができます。
参加費は無料ですが、参加者が思い思いの金額を寄付するというシステムで運営されています。
コース参加中は会話禁止、読み書き禁止。
食事は菜食。
時間割にそって一日10時間以上ただひたすらに瞑想します。
10日間の瞑想コースは毎回、数人のボランティアスタッフによって運営されています。
ボランティアスタッフは一度でも10日間の瞑想コースに参加したことがある人なら誰でもできます。
私は10日間の瞑想コースもボランティアスタッフも何度か経験があり、ブログでもレポートしていますので興味がある人は過去の記事をご覧ください。
関連記事:旧ブログ「地球生活」より
関連記事:ヴィパッサナー瞑想サティパッターナスッタで再認識したブッダの教えの真髄
人によっては10日間の瞑想コースに参加したあと、次のコースはボランティアスタッフとして参加、というパターンを繰り返して数ヶ月間センターに滞在している人もいます。
滞在期間は本人の自由です。
滞在中は食事も寝床もありますので、基本的にはお金はかかりません。
ただ、瞑想に興味ない人は滞在していてもしんどいだけだと思いますので、あくまでもこれは瞑想したい人にかぎります。
西表島でキャンプ生活
沖縄の離島、西表島でキャンプ生活をするというのはいかがでしょうか。
西表島は島の90%が亜熱帯のジャングル(原生林)に覆われていて、特別天然記念物のイリオモテヤマネコなどの固有種の動植物、豊かな植生にあふれていることから、東洋のガラパゴスと形容されることもあります。
この島は知る人ぞ知るサバイバル生活の聖地。
少し離れた無人島にはひとりで裸で暮らすおじさんがいたり、干潮時しか歩いて行くことができない奥地の海岸で犬と一緒にひっそりと暮らすおじさんがいたり、他にもいろんなところで勝手に住みついている人がいます。
島には有料のキャンプ場もいくつかありますが、この島の楽しみ方を知っている人はそこには行かず、テントを持って島の南側にある南風見田(はえみだ)という砂浜を目指します。
この浜では、海岸沿いのブッシュの中で長期間のテント生活をしている人たちがたくさんいます。
砂浜からはあまり目立ちませんが、ブッシュの中をよく見るとあちこちにブルーシートやテントが張ってあるのが見えます。
知らない人は素通りして気づかないかもしれません。
食糧は、何キロもある道を歩いてスーパーまで買い出しに行く人もいれば、貝をとったり、海藻をとったり、魚を釣ったり、ヤシガニをとって食べたりして半自給している人もいます。
ここで生活する人の中には、サトウキビ収穫時期の4ヶ月間くらい稼働する製糖工場で住み込みで働いてお金を稼ぎ、それ以外の期間は砂浜でのんびりと暮らしている人もいたりします。
お金も仕事も家もなくても、西表島までたどりつけばこんな生活をして生きていくことができます。
私が以前西表島に行ったのは大自然の中でキャンプ生活をするというのが目的。
ジャングルの中を縦走したり、大潮の干潮時にしか歩いて行くことができない島の西側の海岸をテント泊をしながら歩いたりとちょっとしたサバイバルキャンプをしてきました。
長文ですが、読みはじめると止まらなくなるおそれがあるので、お暇な時にお読みください(笑)
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日本にもこんな自由な場所があるんです。
車中泊生活
私は軽バンに乗っていますが、むかしから自分の車を持つなら軽バンと決めていました。
軽バンなら荷物を詰め込んでもそれなりに快適な居住性を確保でき、いつでも車中泊をしながら旅ができるというのがその理由です。
実際に2ヶ月程度の車中泊旅を何度かしたことがあります。
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寝泊りする場所はトイレや水道があるところが便利で、ほとんど確実に駐車できる「道の駅」が探すのも簡単で手っ取り早いです。
最寄りの道の駅を探すにはこのアプリを使うのが便利です。
道の駅はトイレや水道があって便利ですが、街中にあったり、車の音が夜中もうるさかったり、街灯が明るすぎたりしてあまり落ち着いて寝れないこともあるので、できればもっと静かなところや自然の中などで車を一晩安全に気兼ねなく駐車できるところがあればそれがベターです。
道の駅以外に私がよく利用していたのが公園の駐車場、神社の駐車場、河川敷、山中の林道などです。
繁華街に用事があった時などは、ビルの地下のコインパーキングで連泊していたこともあります。
食事はお店で食べたり、スーパーやコンビニで買ったりすることもあれば、時間に余裕があるときなどは自炊することもあります。
カセットコンロやキャンプ用のシングルバーナーを持っているのでそれでごはんを炊いたり、食材を買ってきて調理したりしました。
道の駅は基本的に火器使用禁止のため調理するのは人目が気になる場合があるので、自炊するのは公園の駐車場や自然の中などで泊まるときがよいです。
公園によってはバーベキュー設備や炊事場があるところもあって、そういうところを見つけたときはその辺で薪を拾ってきて使わせてもらいました。
車中泊の旅をしていろいろな道の駅で寝泊りしていると、明らかに車が住居のようになっている年季の入った車上生活者を見かけることがあります。
ある道の駅に連泊し、1ヶ月後くらいにまた戻ってくると1ヶ月前に見かけた車が同じ場所に駐車しているたことがありました。
日中はどこかにいなくなるのですが、夜になると帰ってくるのです。
こんな感じで、家がなくても車があれば生活できるということです。
車中泊生活は車がなければできないし、燃料代や食費もかかるので身一つというわけにはいきませんが、家がなくても生きていけるひとつの方法です。
さいごに
身一つでも生きられる方法をご紹介してきました。
就職難で就職できなくても、リストラ、派遣切りで仕事がなくなっても、心配いりません。
生きていく方法はほかにもあります。
もし今の仕事がいやで辞めたいなら、思い切って辞めてしまいましょう。
心配いりません。
生きていく方法はほかにもあります。
本当はこんなことがやりたい。
本当はこんな生き方がしてみたい。
心の中にこうした思いがあるのに、いろいろな常識にしばられて立往生しているなら、思い切って一歩足を踏み出してみましょう。
生き方はひとつではありません。
仕事やお金がなくなったっていくらでも再スタートを切ることができます。
私は住み込みバイト先で20代から60代までいろいろな年代の人と一緒に汗を流してきました。
そう、何歳になったって、人生どんなふうに生きてもいいのです。
やりたいことをやりましょう。
生きたいように生きましょう。
私は今回ご紹介した生活の仕方で4、5年の時をすごし、住み込みバイトで貯めたお金で2年前に山林を購入。
テント生活をしながら自分で小屋を建て、現在は妻とまだ赤ん坊の娘と3人でその小屋で暮らしています。
これもまたひとつの生き方です。
コメント
誉さんお久し振りです。
目に鉄片が入ったのは大変でしたね…。
「生き方は一つではない!」まったく仰る通りです。
昨年に出会った自給自足的生活に憧れている方が、先日、お勤めをやめるという勇断をし連絡をしてきてくれたのが嬉しかったですね。
ともあれ、誉さんもお元気そうでよかったです。
よかったら、私のブログも見てください。カテゴリが少しは増えたかと思います(笑)
感銘を受けました。このような価値観を持った方が存在すること自体励みになります。これからもブログ拝見させていただきます。
Shoさん
嬉しいお言葉ありがとうございます。
自由に生きている人はたくさんいますよ。
私は今までたくさん見てきました。
はじめまして ヴィパサナー瞑想についての過去記事を興味深く読ませていただきました。
その後、自分で色々と調べてみたのですが、ヴィパサナー協会は実質的にはゴエンカ氏による新興仏教ではないかと感じました。その点、どう考えておられますか。
また、ご自身で「自分の瞑想は高い段階に達している」と書いておられましたが、仏教の修行としての瞑想なので、瞑想の効果が顕れればカルマが落ちて人生が軽いものになるはずです。しかし、土地を買って家を建てて子どもまで儲け、重いものになっているように見受けられます。御自身ではどうお考えですか?
hanaさん
仏教に関して私はあまり詳しくないので間違っているかもしれませんが、仏教は経典を学んだり戒律を守ったり、宗教そのものを信じることが重要なのではないでしょうか。
ヴィパッサナーはあくまでも瞑想法だと私は理解しています。
瞑想は教えを学ぶことではどうすることもできません。
実体験こそがすべてで、本人が体験してはじめて理解することができます。
また、仏教徒の中にはキリスト教の信者はいませんが、ヴィパッサナー瞑想者の中にはいろんな宗教の人がいます。
これも大きな違いではないでしょうか。
人生の出来事は起こるべくして起こっていることで、瞑想の質とは無関係だと私は思います。
瞑想の効果があらわれるとすれば、人生の出来事に対してどう感じるか、どう反応するか、どんな感情が沸き起こるか、そしてそれに飲み込まれずリアルタイムでいかに客観的に平静に観察できるか、といったところだと思います。
「自分の瞑想は高い段階に達している」と書いていたことに関して、いま振り返るとちょっと思い上がっているな~と思います(笑)