先日京都のダンマバーヌで開催された、ヴィパッサナー瞑想サティパッターナスッタコースに参加してきました。
サティパッターナスッタとは?
サティパッターナスッタコースは、通常の10日間コースを3回以上修了しているという参加条件があります。
私は2010年の4月にはじめての10日間コースに参加して以来、これまでに生徒で5回、サーブで3回参加しています。
すでに参加条件は満たしていましたが、サティパッターナは京都と千葉のセンターで年に一回ずつの開催のため今までなかなかタイミングが合わず、ようやく今回参加することができました。
コースの日程は8日間。 一日のスケジュールは10日間コースとまったく同じです。
ただ夜の講話の時間が経典を学ぶ時間になり、これがこのコースの最大の特徴と言えます。
サティパッターナスッタとは、ブッダの時代に使われていたパーリ語で、これを日本語にすると「気づきの確立の大経典」。
つまりサティパッターナとは、このコースで学ぶ経典のタイトルというわけです。
今回はよい機会なので、コースのテキストを参照しながら私の理解を簡単にまとめてみたいと思います。
私たちが見ている世界
私たちが見ている世界というのは、そこにあるのが当たり前すぎて、普遍的に誰が見ても同じ世界がそこにあるように見えます。
しかし、実際は私たち一人ひとりが自分自身で頭の中に作り上げている固定観念で塗り固められた世界を生きていて、真実を見ていません。
たとえて言うなら、サングラスをかけて見た世界を本当の世界だと思い込んでいるようなものです。
私たちがこの思い違いの世界から抜け出すためには、外の世界が私たち自身とどのように相互作用しているかを探求する必要があります。
その道を示してくれるのが、ヴィパッサナー瞑想だと言えます。
感覚の観察の重要性
ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想は体の感覚の観察をただひたすら繰り返し行う瞑想法ですが、そもそもなぜ感覚の観察を行うのか。
私たちは五感といわれる5つの感覚器官(目、耳、鼻、舌、体)と心で外の世界を認識しているということは、誰でも体験的に理解できる事実です。
これはつまり、これらの感覚の扉を通して私たちが世界に出会うとき、そこには必ず感覚が生じているということです。
ブッダはここに着目したのです。
感覚が快いものであればそれを長引かせたいという渇望が生まれ、不快であればそれを取り除きたいという渇望が生まれます。
こうして見ていくと、心の中に渇望が生まれ、またその結果として苦悩が生まれる直接的な原因は、私たちの外にあるのではなく、私たちの内に生じる感覚にあるということがわかってきます。
つまり、心と体の相互作用を理解するには、また、私たち個人と外の世界との相互作用を理解するには、感覚の理解が必要不可欠なのです。
感覚の直接の経験
ここまでの文章を読めば、感覚の重要性を理解することができるかもしれません。
しかし、それはあくまでも頭での理解にすぎません。
経典を読み、感覚の重要性をどれだけ頭で理解したところで、感覚を感じることはできません。
真実を理解するためには、知的レベルだけでなく、私たち一人一人が感覚を直接経験することが不可欠です。
これこそが私が仏教という宗教ではなく、ヴィパッサナー瞑想に強く興味を引かれ、のめり込む理由でもあり、そしてまた、これはブッダの教えの核心とも言えます。
無常(アニッチャ)の重要性
ブッダは、すべての現象について「無常」「苦悩」「無我」の3つの性質を自分の内で直接経験する必要性を説いていますが、中でも「無常(アニッチャ)」の重要性を常に強調しています。
それは、無常という性質を深く経験すれば、あとの二つは容易に理解できるようになるという理由からです。
すべての現象は生まれ消え去る、ということを深く理解することで、すべての現象に執着することはなくなり、何事においても平静に、ただ気づき、受け入れることができるようになるのだと思います。
無常への絶え間なく徹底的な理解
生じては消えさるという性質の理解は、自分の内でありのままの現実を直接経験して培っていくしか道はなく、そのためには生じては消えさることをはっきりと直接経験できる感覚の観察がきわめて重要な役割を果たすわけです。
そして、無常の経験的な理解を保ち続けるには、自分の内に起こっている現象、つまり心と体を平静に反応することなく客観的に、そして一瞬の休みもなく観察し続ける必要があるのです。
余談ですが、ゴエンカさんの話によれば、ブッダは自分の体を構成している物質の最小単位である粒子を感覚として感じることができ、その粒子はすごい速さで生成消滅を繰り返していることを直接の体験で理解していたそうです。
もし、そこまで感じることができれば、アニッチャの理解は容易いでしょうね。
「今、この瞬間」に気づいている
私は、「今」に気づき続けることの重要性をこのブログで何度か書いていますが、これはまさに一瞬一瞬自分の内に起こっている現実を観察し続ける、というブッダの教えそのものだということをあらためて認識しました。
ただ、私は「今」に気づき続けるということだけにフォーカスしていて、ブッダが重要性を説くアニッチャの理解が伴っていなかったことに今回のサティパッターナスッタで気がつきました。
10日間コースのコース中、あれほど執拗にゴエンカさんが繰り返し言っているにもかかわらず。。
それだけでも大きな収穫です。
10日間コースの講和などでもブッダの教えにふれることはできますが、経典を詳細に見ていくことで、今回またあらためてヴィパッサナー瞑想がいかに科学的で、自然法則にかなった瞑想法であるかを再認識することができました。