二十四節気の大雪も過ぎ、週間天気では、いよいよ冬本番の寒さがやってきそうな気配。
冬はただ寒いというだけで、どこか陰鬱な気分になってしまいがちなのは私だけではないはず。
今日はそんな気分を少しでもやわらげる、冬の過ごし方のお話です。
私の今住んでいる地域は山間部なので、平地より寒さがきびしいです。
ここには昨年の11月から住みはじめたので、新生活のスタートが冬でした。
ほとんど毎日朝から夕方まで山仕事をしていた冬を過ごした中で、もっとも印象に残っているのは、凍てつく寒さが辛くて嫌だったことです。
私は南国育ちでもないし、特別寒がりというわけでもないし、もっと寒い地域で冬を過ごしたこともあります。
しかし、この地域特有の雪が少なく体の芯から冷える凍てつく寒さがこたえたのか、不慣れな新しい環境でのあまりゆとりのない精神面が影響したのか、前回の冬ほど寒さが嫌だった記憶はありません。
あれから一年が経ち、また今年も冬がやってきました。
また冬が来て、ひとつ気がついたことがあります。
それは、今年と昨年とでは私の寒さの感じ方が変わっているということ。
今はまだ、冬本番の寒さではないので比較するには早いかもしれませんが、昨年の今頃にはすでに感じていたはずの、「寒さ」に対しての「嫌だ」とか「辛い」という感情がまったくとは言わないまでも、今年はほとんどない、というのが今のところの印象です。
同じ環境での二度目の冬ということで、寒さに慣れたこともあるかもしれません。
しかし、理由はそれだけではなさそうです。
なぜ寒さがそれほど嫌ではなくなったのか。
それは、昨年よりも寒さをあるがままに感じ、あるがままの寒さに気づいている瞬間が増えたからだと私は感じています。
私が何を言っているのか、いまいちピンとこない人のためにもう少しわかりやすく説明してみます。
「寒さ」に対しての「嫌だ」とか「辛い」といった気分、感情は、大抵の人の場合ほとんど条件反射的に起こっています。
私たちの頭の中では自分でも気がつかないうちに、「寒い」と「嫌だ」「辛い」という感情がセットになってしまっているのです。
この条件反射、つまり、「寒い」と「嫌だ」をつなぐ鎖を解くことができれば、寒さが嫌なものではなくなるわけです。
そこで、先に書いた、「寒さをあるがままに感じてみる」ことが重要になってきます。
これまでは、寒さを感じるとそれに反応して起こる「嫌だ」とか「辛い」という感情にいつの間にか浸ってしまって、陰鬱な気分になっていたわけです。
それを今度は「寒さ」に反応せず、「寒さ」をまじまじと感じてみるのです。
体が感じている「寒さ」というものに、真っ正面から意識を向けてみるのです。
「寒さ」と「嫌だ」という感情は必ずしもセットではない、ということが実感できるはずです。
この、「寒さをあるがままに感じる」という作業は、一種の瞑想でもあります。
ヴィパッサナー瞑想は、自分の体に起こっている感覚を観察し、出会うさまざまな感覚に反応せずあるがままに感じることで、感覚と感情のリンクをはずし、平静さを培っていく瞑想法です。
「寒さをあるがままに感じる」という作業は、まさにヴィパッサナー瞑想の実践です。
もちろん、これは「寒さ」だけに限ったことではありません。
私たちはさまざまな出来事、さまざまな感覚に自分でも気づかないうちに条件反射的に反応し、時には自分で辛くなるような、さまざまな感情を噴出させています。
その一つ一つに意識的に気づいていくことが大切なのですが、まずは「寒さ」と「嫌だ」「辛い」といった感情のリンクをはずしてみてはいかがでしょうか?
これからやってくる冬本番の寒さを利用して、「寒さをあるがままに感じる」という瞑想的な作業を思い出した時にでもやってみることで、これまでとは違った冬が過ごせるかもしれませんよ。
コメント
誉さん、素晴らしいです。
冬を通して、ぜひこのテーマでまた書いてください。
ウィパッサナーの具体的/実践的な効能というのは、意外と報告してくれるひとは少ないです。
説得力がありますよね。
あきさん
コメントありがとうございます。
瞑想をしなくても、日常生活の中のさまざまな場面を利用して、誰でも瞑想的な感覚が実感できるように、いろんな角度から書いていけたらと思っています。
「在るがままに…」
なんてステキなことなんでしょうね!!!(*^^*)-☆
Akemiさん
いつもコメントありがとうございます。
「あるがまま」は重要なキーワードですね♪