第37回木村伊兵衛写真賞 田附勝写真集『東北』の価値

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今や東北と聞けば、被災地、原発など震災に関連したことをイメージする人がほとんどだと思います。

震災が起きた2011年に出版され、同年、第37回木村伊兵衛写真賞を受賞した田附勝さんの写真集『東北』を最近になって見ました。

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2011年に出版された『東北』というタイトルの写真集、というと、知らない人ならおそらく誰もが津波でがれきと化した被災地の写真を収めた写真集を想像するでしょう。

ところが、この写真集の撮影期間は2006年7月から2011年4月。

ほぼすべての写真が震災以前に撮影されたものです。

東北は、日本の中ではある種特殊な土地ということができます。

古代日本。稲作文化とともに大陸から渡来人がやってきました。

いわゆる、弥生人です。

日本にはそれ以前から縄文文化を踏襲する土着民が生活していましたが、弥生人の侵略によって吸収され、抵抗を続ける民族は次第に北や南に追いやられていきました。

これが古代日本の歴史として有力な説とされています。

土着民族の最大勢力であり、最後まで大和朝廷に抵抗を続けていたといわれる蝦夷(えみし)が統治していた土地が、東北でした。

勢力を拡大する弥生人国家、大和朝廷と土着民族の攻防は、日本書紀や古事記のヤマトタケルの東方征伐などからも窺い知ることができます。

また、多くの人の知るところでは、先日引退を表明した宮崎駿監督の映画『もののけ姫』の主人公アシタカは、「ヤマト(大和)との戦いに破れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ(蝦夷)一族の末裔」という設定だったりします。

こうした歴史的背景から推測すると、稲作や太陽信仰に代表される弥生以降の大陸文化を少なからず受けながらも、それ以前の、古代より脈々と受け継がれてきた狩猟採集、アニミズム、シャーマニズム的な縄文文化が色濃く残る独特な土地、それが東北だと言えるのではないでしょうか。

写真集の帯には、こうあります。

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征服されざる者たちの大地。

この言葉の意味するところは本書には何も書かれていませんが、写真にはそれが絶妙に表現されているような気が私はします。

写真集『東北』は、3つの意味で価値ある仕事だと私は感じています。

一つは、先述したように、東北という土地独特の歴史的、文化的背景、習俗が絶妙に表現されている点。

もう一つは、まるで震災を予期していたかと思えるほどのタイミングで、震災以前直近の東北を『東北』というテーマで撮影された点。

そして、最後3つ目。

「3.11」以降、東北という言葉、土地に染みついた被災地、原発、放射能といった圧倒的にネガティブなイメージに対し、古代より長い時間をかけて育まれてきた文化、習俗を東北という土地の持つ本来のイメージとして提示したこと。

これこそが、ほかのどんなことよりも、この写真集が世に出た役割であり、最大の価値だと私は思います。

さて、ここからはちょっと余談です。

実は、私は以前、写真家を志していた時期があり、東京は中目黒にある某写真スタジオで働いていたことがあります。

田附さんも同じスタジオ出身で、撮影の仕事でときどき来ることがありました。

実は、田附さんは私の兄の高校の同級生で、田附さんが高校生のころ、よく家に遊びに来ていました。

そんな縁から、田附さんが仕事でスタジオに来たとき、私はアシスタントとして撮影に参加させてもらうこともたびたびありました。

当時、広いスタジオいっぱいに大四つの写真を並べてセレクトをしている場面にも遭遇したことがあります。

その時の写真が、後に世に出るファースト写真集『DECOTORA』です。

また、私がスタジオをやめて数年後、オーストラリアを旅していた時に、仕事で来ていた田附さんと街中でばったり会って、びっくり仰天したこともあります。

兄に聞いた話では、田附さんは高校時代から、「オレはビッグになる!」と公言していたそうです。

今や木村伊兵衛賞写真家ですから、有言実行ですね。すごい。

そんな田附さん。

現在は、第3弾写真集『KURAGARI』が話題になっています。

夜の森で遭遇した鹿の写真群。

この写真集についてもいろいろ書きたいことがあるのですが、長くなるのでまた別の機会に。

写真家・田附勝。

目を向けるところ、やっていることがカッコいいです。