「神は細部に宿る」の本当の意味は精神世界と密接な関係がある

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「神は細部に宿る」という言葉をご存じでしょうか?

出典ははっきりしていないようですが、建築家のミース・ファンデルローエや美術史家のアビ・ヴァールブルグなどがこの言葉を好んで使っていたと言われていて、そのためか、建築やデザイン、芸術の分野などで用いられることが多いようです。

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一般的には、「目立たない細かい部分までも手を抜かず、妥協せずに完璧に仕上げてこそ、全体の完成度が決まる」といった感じの意味として理解されていると思います。

それはそれで真理をついていると思うのですが、この言葉には精神世界の視点からみたもっと深い意味があるように私には思えてなりません。

私たちの本質は意識

私たちの多くは、一日のほとんどの時間を何気なく頭の中で何か考えながら過ごしています。

頭の中で次々と展開する思考に没頭してしまっていることで、私たちは思考そのものを自分自身だと錯覚してしまいがちです。

しかし実際は、私たちはの本質は思考ではなく、意識です。

日常に起こるたくさんの出来事やそれに反応して起こるさまざまな感情、思考に完全に気を取られ、そこで繰り広げられていることはすべて意識の中で起こっていることだということを忘れてしまっています。

意識と「今、この瞬間」の密接な関係

意識には「在る」とか「気づいている」といった性質がありますが、私たちがその本質である意識を自覚するには、思考からはなれ、常に「今、この瞬間」に気づいている必要があります。

たとえばトイレに行く時、トイレに行って用を足すことや、あるいはトイレとはまったく関係ない思考が頭の中を占領し、トイレに向かって歩いているという「今、この瞬間」行っている行為そのものにはほとんど意識がありません。

思考していると、「今、この瞬間」に自分がやっている行為そのものに気づきにくくなるのです。

この場合、歩いているという行為それ自体を目的として、意識的に歩くことで、歩いていることに気づいていることができ、結果的に「今、この瞬間」に気づいていることができます。

「今、この瞬間」に秘められた偉大な力

ここで、覚者エックハルト・トールの言葉を引用します。

彼は、著書「ニュー・アース」のなかでこう語っています。

大きなことは、小さなことを大切にするなかから生まれるんですよ。どんな人の人生だって小さなことから成り立っているのです。偉大だとか立派だとかいうのは精神的抽象的な概念で、エゴの大好きな幻想です。ところが偉大なことの基本は、偉大という概念を追いかける代わりに、いまこの瞬間の小さなことを大切にすることなんです。

いまこの瞬間はつねにシンプルで、その意味ではつねに小さいでしょうが、そこには偉大な力が秘められています。いまこの瞬間と自分自身を調和させたとき、そのときだけ、その大きな力にアクセスすることができます。と言うよりも、その力のほうがあなたにアクセスし、あなたを通じてこの世界にアクセスする、という方が正確かもしれません。

私たちの本質である意識は、その奥深くではすべてとつながっていて、その大本はすべてを包括する一つの全体意識で成り立っていると言われています。

エックハルト・トールの言う「偉大な力」とは、この全体意識のことであり、それはいわゆる「大いなる存在」と呼ばれるものであり、さらに言えば、「神」と言い換えることもできます。

「神は細部に宿る」の精神世界的な本当の意味

さて、以上のことを踏まえたうえで、本題である「神は細部に宿る」という言葉を見てみると、その意味は一目瞭然です。

「神」というのは、エックハルト・トールの言う「偉大な力」、つまり全体意識のことです。

そして、「細部」とは私たちの日々の行動の細部、人生の細部、つまり「今、この瞬間」の行為です。

つまり、「神は細部に宿る」とは、「今、この瞬間」に気づき、「今、この瞬間」行っている行為に常に意識的であるとき、私たちを通じて、私たちの能力を超えた、大いなる存在と呼ばれる全体意識の偉大な力がこの世界に表現される、と私には解釈できるのです。

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