「ありがとう」の反対の言葉とは?

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感謝の気持ちを伝える言葉、「ありがとう」。

「ありがとう」には反対の言葉があるのですが、なんだかわかりますでしょうか?

知っている人は別として、いきなりこの質問をされてもなかなか適当な言葉が思い浮かばないかもしれません。

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答えは、「あたりまえ」です。

「ありがとう」を漢字で書くと、「有難う」。

漢字で見ると、反対の言葉が「あたりまえ」ということがより納得できると思います。

私たちは毎日の生活のなかで、どれだけ多くのことを「あたりまえ」のこととして認識してしまっているのでしょうか。

ご飯を食べること、服を着ること、住む家があること、仕事があること、最低限生活できるお金があること・・・。

特に意識しなければ、これらはすべて「あたりまえ」のこととして見過ごされていることかもしれません。

しかし、あらためて一つ一つのことに正面から意識を向けてみると、「あたりまえ」だと思っていたことが、実はあたりまえではない可能性があることに気が付かれるかと思います。

大抵の場合、「あたりまえ」は失ってみないと、そのありがたさに気が付かないものですが、もし失わずしてそのことに気が付けるなら、自分が「ありがたい」、恵まれた状況のなかで生きていると思うことができるのではないでしょうか。

生まれつき二本の足に恵まれている人は、歩いてどこかに移動することなどわけなく、「あたりまえ」の日常です。

しかしこれもまた、両足にまじまじと意識を向け、「あたりまえ」ではない可能性も考えてみると、毎日文句も言わず働き続ける両足にとても「ありがたい」気持ちが湧いてきます。

人と人とのつながりの中にも、たくさん「あたりまえ」になってしまっていることがあるかもしれません。

私は子どもの頃、母親の作ったご飯を食べて育ちましたが、毎日ご飯が食卓に出てくるのが「あたりまえ」でしたので、「ありがとう」と思って食べた記憶はありません。

もちろん今ではそのありがたさはわかります。

人と人とのつながりの中には、善意、愛情、思いやり、気づかいなどに根差した行動がたくさんあるはずなのに、それが「あたりまえ」のこととして認識されてしまうのはともて残念なことです。

親しい友人、恋人、家族など関係が近くなるほど、いろいろなことが「あたりまえ」になってしまいがちです。

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、いつのまにか「あたりまえ」になってしまっていることをあらためて見つめ直してみれば、さらに良い関係が築けるのではないでしょうか。

こうして見ていくと、私たちのまわりには「あたりまえ」のことなど何一つなく、実は「ありがたい」ことばかりなのかもしれませんね。