人は食べなくても生きていける!?「不食」を誰もが選択できる時代

記事内に広告を含む場合があります。

20151122_144635

一冊の本を読みました。

食べない人たち (「不食」が人を健康にする) です。

スポンサードリンク

人は食べ物を食べなければ生きていけない、というのは誰もが疑いようのないあたりまえの常識だと思います。

しかし、この本はそのあたりまえの常識を根底からくつがえします。

本書の共著者である3人は、そこまで至る経緯はそれぞれですが、3人とも食べ物を食べないで生きている人たちです。

食べ物を食べないで生きている人がいる、といきなり言われても、一般的な常識から考えれば、「そんなことありえない!」と誰もが思うでしょう。

著者の一人、6年間水も飲まない弁護士、秋山佳胤さんはこう書いています。

「どうして、そんなことができるのか。栄養学の常識では絶対にありえないことだ」

理屈がいっぱい頭につまった人は、すぐにそう考えます。そもそも理屈で考えたら、不食はできません。不食が可能かどうかは、頭ではなく体が教えてくれます。これは知識ではなく、実際に試さないとわからない感覚の世界なのです。

「不食」という言葉の生みの親、山田鷹夫さんも同じようなことを言っています。

いくら知識で判断しても、不食はわかりません。何度もいうように不食は知識ではなく、行為であり体験だからです。不食ができるかできないかを知りたいなら、考えてもムダです。行動するしかありません。自分で不食の実験をして答えを出せばよいのです。

これまで不食は、聖者と呼ばれるような人や、ヒマラヤの奥地にいるヨガ行者や、水墨画にありそうな雲より高い山に住んでいる仙人みたいな人、の特権だったはずです。

仙人は霞を食べて生きている、なんて言いますよね。

しかし、この本の3人は普通に社会生活を営んでいる人たちです。

しかも、3人とも日本人。

食べ物を食べないで生きられる人が、こんな身近に、しかも何人もいるということが驚きです。

しかし、身近であるがゆえに、不食は特別な人だけでなく、やろうと思えば誰でもできることなんだ、という気にもさせてくれます。

この本には誰でも不食を実践できるように、不食のコツも書かれています。

ふたたび秋山さんの言葉を引用します。

不食で大切なのは、食べないことを目標にするのではなく、食べないことに体を徐々に慣らしていくこと。不食では本来、強い飢餓感に悩むことはありません。むしろ、食べないことが気持ちよく感じられるのが不食です。

多くの人は疑問に思うかもしれません。しかし、時間をかけて食事の質を変えたり、その量をへらしたりすると、食べないことに体がなれていくことに気がつくはずです。急がないで、自分の体と相談しながら、少しずつ進めていくと、どこかの段階でこれが実際に起こります。

不食へのステップを簡単にまとめると、こんな感じです。

・肉食をやめ、菜食にする

・まず朝食を食べるのをやめる

・一日二食になれたら、一日一食にする

・一日一食になれたら、一食の量を減らしていく

大切なのは、決して無理をせず、食べないことに体を徐々に慣らしていくこと。

不食が体得できるかどうかのカギは、一日一食にあるそうです。

はじめから不食をめざすのではなく、まずは一日一食をめざすのがよいとみなさん言っています。

私は食べ物を食べることは好きですが、もともと食べ物にこだわりがなく、あれが食べたいこれが食べたいという欲求もあまりありません。

いまは食べることよりも、「不食」の世界を体験してみたいという好奇心の方が勝っています。

不食の道へのスタートラインに立つには、まさにここがポイントだと思います。

食べたい欲求よりも、不食に対しての好奇心が勝つかどうか、です。

食べることが好きな人は不食の道に進むのはなかなかむずかしいかもしれません。

というより、不食する気なんてさらさらないでしょう。

私はこの本を読んでさっそく、朝食に食べていた2枚の食パンを1枚に減らし、昼ごはんの弁当箱をひとまわり小さいものに変えてみました。

すると、当然のなりゆきで空腹を感じることが多くなってきました。

空腹を感じているとき、山田さんの言葉を思い出します。

空腹を感じると、人によってはイライラしたり、食べたいものが次々に頭をよぎったりするかもしれません。それでも、そのときの体の感覚のほうに意識を向けるのです。

空腹感とは何なのかをとことん感じてみましょう。その正体をつきとめてください。ただひたすら空腹感を味わっていると、ある時点で、空腹感が薄らいでくるのがわかるでしょう。それをさらに味わっていると、空腹感が消えていきます。

(中略)

要するに、頭があわてて判断しなければ、体は空腹に慣れていきます。古い情報が体の中で新しいものに変わっていくからです。これは、空腹をがまんするのとはまったく違います。不食で大切なのは、がまんではなく、この体が空腹に慣れていくという感覚を知ることなのです。

おなかが減ってきたときに、今までは早く何か食べたいという気持ちが強くなってきて落ち着かなくなっていましたが、山田さんの言葉どおり空腹を客観的にとことん感じてみると、早く何か食べたいという気持ちは次第になくなり、ただ空腹感だけが残りました。

そして、その空腹感も次第に気にならなくなっていき、心も落ち着きました。

このとき、「空腹に慣れていく」という感覚が少しわかったような気がしました。

まだはじめたばかりですが、こんな感じで少しずつステップアップしていって、まずは一日一食をめざしてみようかと思っています。

さて、最後になりますが、秋山さんはあとがきでこう書いています。

不食は、もうそれほどめずらしいことではありません。オーストラリアの不食の実践家・ジャスムヒーンさんによると、1996年の段階で、彼女と同じ不食の実験をしている人はまだ200名ほどだったそうです。ところが、2010年にはヨーロッパだけで、その数は4万人にも上るといいます。私の直感では、その数はさらにふえて、現在では10万人くらいになっていると思っています。

食べ物を食べないで生きているという人が実際にいて、しかもそれが一人ではなく世界中に何万人もいるとなってくると、いまはまだ知らない人が多くただ一般的になっていないだけ、という見方ができそうです。

かつて、地球の周りを太陽がまわっていると考える「天動説」が世の中の常識だった時代がありました。

そのとき、地球が太陽の周りをまわっているという「地動説」を説いたコペルニクスの話など、はじめは誰も聞く耳を持たなかったでしょう。

しかし、現在では「地動説」が常識で、太陽の周りを地球がまわっていることを疑う人は誰もいません。

これからの時代は今までと変わらず食べ物を食べ続けるか、あるいは不食の道に進むか、個人個人の選択次第になってくるのかもしれません。

不食に興味ある人も、不食を否定したい人も、一読をおすすめしたい本です。

秋山 佳胤 森 美智代 山田 鷹夫
マキノ出版
売り上げランキング: 6,841

コメント

  1. うり坊 より:

    さすが誉さんらしい境地だと思います。人類史上から見れば、「不食」こそがマジョリティであって、現代の飽食こそが異常だと思います。とにかく資本を回さないといけない資本主義社会では、皆がたらふくに食べてもらわなくては困るのでしょう。業界間の連携は実に見事ですね。アングロサクソン文明最終章の現代、自給自足的生活が物事を問い直すきっかけになるだけでも、意義は十分ありますね。
    俗世間にまだまだ毒され、「不食」はなかなか実践できていない私が言うのもなんですが、「不食」には「生玄米」がおすすめです。(玄米ご飯にすると、逆に未消化物が多くなる)これぞ、ノンエネルギー&エコロジー&ヘルスですね。
    誉さんにすすめた手前、杯一杯の「生玄米」を一口につき100回噛む朝食を始めたいと思います。

    • Homare より:

      うり坊さん
      生玄米ですか。トライしてみます。
      「不食」の山田さんも、生玄米の粉を食べていたみたいですね。

  2. 丸大 より:

    生玄米も試してみるのはいいですが、体に不調を感じたり合わないときには止める勇気も大事です。
    体が本当に必要としている食事をとるのが一番なので、体の声を注意深く聞いてあげてください。

    さて不食ですが、現実は一食置き換えダイエットと似たようなものだと思われます。
    何に置き換えてるかというところは「氣」のようなものですね。
    ジャスムヒーンさんの翻訳された本を読みましたが、頭頂から体の中へエネルギーが入っていくイメージが書かれていたのを覚えています。

    なので普段の食事には余りこだわる必要はないというのが私の考えです。
    西洋の人たちにも多く不食者が居るという事は、食文化の違いは関係ないということだと思います。

    実践としては自然界の「氣」を体に取り込むイメージを持った瞑想がいいのではないでしょうか。

    • Homare より:

      丸大さん
      コメントありがとうございます。
      生玄米はまだ試していませんが、普段の食事には現時点ではあまりこだわらずに食べています。
      体の声を注意深く聞きながら、少しずつ少食に近づけていきたいと思っています。

      不食の本の秋山さんの章でもジャスムヒーンさんの話がありますが、私が不食に興味を持ったのは「プラーナ」を摂取して生きるというのも大きな関心事の一つです。
      不食の本を読む限りでは、食事の量を減らしていくに従って、体が自然とプラーナを取り入れるようになるものだと思っていました。
      プラーナを摂取するのは自分の意思でコントロールできることではないと思っていましたが、イメージすることでその助けになるならやってみる価値はありそうですね。

  3. とくめい より:

    夕食のみの「1日1食健康法」を実施していると「職場で昼食を食べない」ために「職務放棄とみなされ減給処分などの冷遇をうける」、「昼食をしながら仕事の打ち合わせなども行うため不愉快扱いされ職場にいられなくなる」、「昼食を抜くため職場で仲間はずれにされる」のでいっそのこと「午前はA会社、午後はB会社のダブルワーク」などの苦労が発生。
    「午前と午後でダブルワーク」のため「非正規のパートで働く時間もお昼に移動時間が必要なため労働時間が6時間から7時間しか働けない短時間勤務となり収入は普通の人より少ない苦労を抱える」。夕食のみの「1日1食健康法」を実施するためには「労働時間が短くなる」、「お昼に別の会社に移動する時間が発生する」、「午前と午後で別会社でのダブルワークのため正社員につけない」など「大変苦労します」。「健康を手に入れるには大変な試練を受けなければなりません」。厚生労働省が「いい加減な健康法」の「1日3食」を強制し「ごはんを残してはいけません」と洗脳することで「世間のみんな」から「1日1食実施者」は「非国民扱いされ大変苦労しています」。「1日3食」は権力者が「お金儲け」の目的でつくった「システム」で「健康を考えていません」から「病院」ができたのです。「1日1食」は風当りが大変強く、「厚生労働省の敵」ですが、「少数派の支持者が1人でも存在する限り」「生存できるよう」に「社会システムを作ってください」。「昼食を抜く」ことで「正午になるといやがらせを受けることをさける」ため「午前中はA会社で勤務して、午後はB会社で勤務するダブルワーク」をするため「職場を2つに分ける必要がある点」と「お昼の移動時間が余分に発生する点」で「8時間勤務が難しくなり6~7時間勤務となる点」、「正社員になれず非正規で働くしかなくなる点」、「給料が非正規で少なくなる点」を考慮してほしい。
    「日本では権力者の敷いたレールからはみ出す者がどれだけ苦労するか」、「権力者のシステムが合わない者がどれほど苦労するか」を真剣に考えてくださいね。「一様の社会づくり」が「どれだけの人を苦しめているか」も。「~をしなければならない」が「いかに迷惑か」を。「自殺大国ニッポン」を作っているのは「様々な制度、規則、法律」なのかもしれませんね。「偉そうに規則に従いましょう」と言っているが「規則」こそ「最大の悪」かもしれませんね。「東京大学名誉教授」の「加藤寛一郎先生」のあり難い著書「1日1食減量道」、読んでみてください。「1日3食」は「病気をつくるもの」。「がん」は「病ダレ」に「口が3つ」。「1日3食」が「癌の原因」、「病気の原因」と「先人」が伝えています。