ホームセンターで買った材料で自分で建てた家の建築費用の総額

記事内に広告を含む場合があります。

20160702_143154

家が完成したら計算しようと思って保管しておいたたくさんのレシート。

最終工程であった外壁もほぼ完成したので、いよいよたまりにたまったレシートの束を計算してみることにしました。

スポンサードリンク

金額のまえに、12畳ロフト付きの小屋をつくるにあたって、どんな材料をどれくらい使ったのかをレシートを参考にまとめてみました。

基礎

●ブロック基本  18個

●羽子板沓石 14個

●セメント25kg 3袋

●砂20kg 9袋

土台

●杉角材90mm3m 5本

●杉角材90mm4m 8本

●カネライトフォーム 40mm厚 10枚

屋根

●アスファルトフェルト(たしか25m巻だったかな?) 1本

●オンデュリン波板 20枚

●赤松 30×40×2000 36本

内装

●マットエース100mm厚 約5坪 3袋

●グラスウール 28枚

●ラワン合板5.5mm 12枚

●しっくい 20kg 4袋

ロフト床

●杉野地板 110×2000 51枚

外壁

●杉野地板 180×1820 185枚

●防水透湿シート(何メートル巻か忘れた) 2本

水道

●ポリエチレンパイプ 120m 1巻

建築全般

●構造用合板 12mm 110枚

●2×4材 6f 136本

●2×4材 10f 5本

●2×4材 12f 73本

●1×4材 6f 22本

●1×6材 6f 5本

●1×6材 12f 4本

●2×6材 6f 7本

●2×6材 12f 13本

●防虫防腐塗料 15L 3缶

●コーススレッド(長さはいろいろ) 16箱

ここにあげたものはすべてではなく、小屋づくりの根幹となる主要な材料と思っていただければよいかもしれません。

ほかにもこまごました材料がいろいろとありますが、レシートでは材料名やサイズ、長さなどの詳細がよくわからないものもあるので、そういったものは省いています。

さてさて、お待たせいたしました。

では、建築費用の総額です。

12畳ロフト付きの小屋の建築費用の総額は、、

643,892円

でした。

この金額は小屋づくりの材料費だけでなく、インパクトドライバーや充電式丸のこ、ディスクグラインダーなどの電動工具、その他建築に必要な大工道具などの費用も含まれています。

私は小屋をつくるにあたって大工道具もすべて一からそろえました。

これから土地を買って自分で家を建てようと思っている方のなかには、私と同じようにはじめはのこぎり一本持っていない人もいると思います。

そういった方の参考になればと思い、工具一式の金額も合算しました。

もしかしたら、ついでに買い物した建築に関係ないものもちょこっと含まれているかもしれません(笑)

材料費だけだと、だいたい60万円くらいだと思います。

この金額が高いのか安いのかわかりませんが、たとえば家賃6万円の賃貸マンションであれば一年もしないうちに払ってしまう金額です。

ましてや家一軒建てるのに何十年もローンを組まなくても支払える金額です。

もちろん、12畳ロフト付きというちょっと広めのワンルームマンションのような広さの小屋で、世間一般的な一軒家とくらべるとかなり狭く、金額を比較するには無理があると思います。

しかし、何十年もローンを組まなくても、毎月何万円も払い続けなくても、これくらいの広さの家なら近所のホームセンターで材料を買ってくれば60万円あれば誰でも作れるということを頭の片隅にでも置いといてもらえれば、多くの日本人の頭の中にある「家」という固定観念を柔軟にすることに少しは役に立つかもしれません。

ホームセンターで買った材料で素人が60万円で建てた小屋。

家なんて、こんなんでもいいのです。

いまはこの小屋で家族3人で暮らしています。

子供が大きくなって手狭になってきたらもう一棟別に、子供部屋ならぬ子供小屋を建てるなんて日が来るかもしれませんが、しばらくはこの12畳ロフト付きの小屋で暮らしていくつもりです。

電子書籍になりました

コメント

  1. より:

     私がセンターを訪れた時のAT以下運営にたずさわる方々があまりにもひどかったので不審に思い、その後詳しく調べました。
     日本Vipassana協会が教えているのは正確に言うと無常観を感じるためのVipassanaではなく(そもそも通常の能力で感じられるわけがない)、気エネルギーの流れを感じる瞑想法の一種で、同様のものは結構あり、有名なところでは江戸時代の白隠禅師が実践されていた「軟蘇の法」というものがあります。かなりの治療効果があるようで、戦前には不治の病とされていた結核をこれによって治した方もいるようです。
     実際にセンターで本人から直接聞いた話では、病気や飲酒、喫煙といった悪い習慣を絶つのに、この瞑想法は即効性があるらしく、始めて1、2年以内に、はっきりとした効果が現れてくるようです。ただ、ゴエンカ氏がテープで言っていたように目立った体性感覚は最初の1、2年の間になくなり、その後目立った成果は得られないようです。十年継続しても情緒不安定な方だけでなく、二、三十年継続しても未だに無常観が体現されておらず生徒と口論するATはかなり悪い印象を与えています。
     
     ほまれさんは5年経してもなお、この瞑想法に手応えを感じておられますか。

     あるいは、単なる期待感から続けておられるのですか。

    • ほまれ より:

      はじめに申し上げておきたいのは、できればヴィパッサナー関連の記事のコメント欄にコメントいただけないでしょうか?
      また、こうした一連のやりとりは同じ記事のコメント欄で続けていただけるとありがたいです。

      まったく内容の関係のない最新記事に毎回コメントをいただくと、ブログを読んでいる方はなんのことやらさっぱりわからないと思います。

      さて、本題です。

      私は何年か前にゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想に疑問を感じ、それ以来気が向いたときにごくたまにやる程度です。

      ただ、体の感覚をただありのままに感じるという行為自体は、それが瞑想中だけのことではなく、日常生活のなかで自然に行えることができるようになれば、悟り、覚醒への玄関口である「今に在る」「気づいている」という意識状態に大いに役に立つことだと私は感じています。

      たとえば、日常生活の中で感情の移り変わりと体の感覚の変化を同時にリアルタイムに観察してみると、感情の変化に応じて体の感覚も変化していることに気づくことができると思います。

      感情にのみこまれ、感情のエネルギーと一体化してしまうと、「今に在る」「気づいている」という意識状態でいることができなくなってしまいますが、そのときに体の感覚の変化にいち早く、安定して気づいていることができれば、感情にのみこまれにくくなります。

      「今」に意識をつなぎとめておくためのアンカーとして、体の感覚はとても助けになります。

      そういう意味では、ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想のひたすら感覚を感じるという修練は、大いに役に立つと思います。

      また、心が静まりかえっていないと体のすみずみまで丹念に感覚を感じ取っていくのはむずかしいと思いますが、瞑想中、完全にすべてが沈黙し、世界のすべてが体の感覚だけでしかなくなったとき、つまり感覚を観察している観察者もいなくなったとき、「ただ今に在る」「ただ存在している」という経験をすることがあります。

      私にとってはこうした経験もゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想の大きな価値だと思っています。

      私がゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想をやらなくなったいきさつや理由に関して興味がおありでしたら、記事を書いてから数年が経過して、鮮度が落ちていて古臭い感じがして恐縮ですが、このあたりの記事を読んでください。

      鎌倉一法庵での気づき-本当の瞑想とは
      私が瞑想をすすめるただ一つの理由

      またあらためて瞑想に関して思うところを近々記事にしてみようかと思います。

  2. より:

    ほまれさんはいい方のようですね。

  3. フェイス より:

    これ本当に自分で、造ったのですか?
    これすごいです‼️