「今、ここ」を生きていると、日常が瞑想状態になる

記事内に広告を含む場合があります。

imakoko-meiso

スピリチュアルや精神世界に関心のある人なら、「今、ここ、この瞬間」に生きることが大切だ、という話を聞いたことがある人は多いと思います。

私も、常に心がけていますが、最近(2013年6月現在)では一日のうちで「今に在る」時間がだいぶ増えてきたという実感があります。

その中で、いろいろとわかってきたことを書いてみたいと思います。

スポンサードリンク

私は、旧ブログ「地球生活」に書いた、【2012年12月21日の翌日に起きた私の覚醒体験】をきっかけに、日常で意識的に「今、ここ、この瞬間」を生きることをストイックに実践しはじめるようになりました。

「今、ここ」を生きるためには、「今に在る」ということの正しい理解が必要です。

「今に在る」とは、「今に気づいている」状態です。

いろいろと考え事をしていたり、妄想やイメージに没頭していると、「今に気づく」ことはできません。

本当の意味で「今に気づいている」ためには、思考や妄想、イメージから解放された、空っぽの意識でいることが絶対条件です。

思考していてもそれに気づいているならいい、という人もいますが、私がまだ未熟なせいか、私の経験では、思考しながらそれに気づいていることは非常に難しい気がします。

それよりも、思考や妄想へ没頭していることにいち早く気がつき、それに執着せずにすぐに手放し、また「今に気づいている」状態を再開することが賢明です。

「今、ここ」に生きるための絶対条件である空っぽの意識。

以前、【私が瞑想をすすめるただ一つの理由】という記事で書いたように、私は瞑想によってこの空っぽの意識を自覚するようになりました。

瞑想で、例えば呼吸に意識を集中しようとしているのに、頭の中に次々と湧いて出てくる思考やイメージにいつの間にか没頭してしまい、瞑想していることすら忘れてしまった経験がある人なら、思考やイメージに意識を奪われないようにするためにはかなりの集中力が必要だということがわかると思います。

しかし、瞑想の経験を重ね、次第に思考やイメージがおとなしくなり、さらに集中力が培われてくると、思考やイメージに意識を奪われないようにすることが、以前ほど労力を必要としないで出来るようになってきます。

これと同じで、日常生活の中で空っぽの意識でいることは、慣れないうちはとても集中力を必要としますが、その状態で「今に気づいている」時間が増えてくると、いつの間にかそれが自然に出来るようになってきていることに気がつきます。

空っぽの意識で「今に気づいている」状態を日常生活の中で定着させる作業は、私の場合、これまでの瞑想経験のなかでやってきた作業を、こんどは日常生活で再現している感覚です。

これが何を意味するかというと、瞑想している間だけ集中して今に気づいていても、瞑想が終わるや否や頭の中で思考が渦巻き、妄想にどっぷり浸かっていてはあまり意味がないということです。

瞑想は、それをすること自体を目的にしてしまうよりも、瞑想で培った静かなこころや集中力を日常生活に取り入れることが大切だと思います。

私の現段階での感触では、「今、ここ、この瞬間」を生きることは、日常生活が瞑想しているときと同じような意識状態になる感じがしています。

別の言葉で表現するなら、瞑想していても、日常生活でも、そこで進行していることは、静寂の中でただ「今に気づいている」ということです。

コメント

  1. より:

    こんにちは。
    リンク先に書かれていた覚醒体験と同じものを、私も体験しました。
    2011年5月か6月頃のことだと思います。

    そのあとにネットを徘徊して気づいたんですが、ヴィパッサナーを実践する方のブログの中に、ふっと、この体験が書かれていることが多い、と思います。
    大きく喧伝されることもなく、こちらのブログ様のように、ふっと入ってる感じ。

    表現不可能な言葉を超えたもの…とか言い、たしかにそうなのでしたが、それを言うならすべての体験がそうなのであって、でも、それぞれ、初めての買い物や運転経験や青い空を語るみたいに、「語る」には意味があると思うな、と。

    体験を語るというより、体験の記憶を語るような感じ……というのまで、なんかよくわかるようで、ちょっとコメントさせていただきました。

  2. 在家 より:

    アセンションと言われた2012年12月以前でしたが、私もいくつかのさとり体験がありました。
    自分がどこにもいない(主体と客体の同一化)、全面集中(視野が焦点を結ぶことなく全面同時に見えている)、感覚の開放(感覚による感動や喜び)、不安から安らぎへの切り替えなどですが、安らぎ以外は一時的で他は元に戻ってしまいました。
    十牛図の3段階目「見牛」ではないかと思います。
    行ったきり自分に戻れないのが4段階目「得牛」「さとり」です。

    本文、「いまここ」は思考(心理)の要因が時間と二元にあるからで、確かに瞑想と同じ状態になります。
    正確に感じておられると思います。

    • ほまれ より:

      わかりやすい解説ありがとうございます。
      参考になりました。